家系図

【戸籍滅失】今すぐ、自分で家系図を作ってみよう!!その4【半泣き】

戦争反対

こんにちは、510です。前回、両親の故郷へ、郵送で戸籍請求を行いました。そして、数日後、父の故郷から、除籍謄本と改正原戸籍謄本が送られてきました。前回とは違い、今回は色々と切ないお話しです。

父の故郷から封筒が届く

郵便

郵送請求をしてから、4日後に故郷から除籍謄本2通と、改製原戸籍謄本1通が届きました。あと、3,000円のおつり750円の小為替も。

除籍謄本は、結婚や離婚、死亡、転籍などでその戸籍に全員いなくなった戸籍の写しです。その戸籍にいた人全員の名前の所に大きくバッテン×されています。改製原戸籍謄本は、旧バージョンの戸籍謄本で、「はらこせき」や「はらこ」と言うそうです。

戸籍内容を見る前に手紙が。

戸籍の内容を見ようと開けると、手紙が1枚挟んでありました。

な、なんだってーーーー!!

*8月8日をぐぐったら、大空襲の日でした(号泣)

そして、原戸籍に付箋がペタリ。

戦災により滅失!!

メ、メ…滅失!!

滅失=ほろんでなくなること(怖っ)

滅失なんて言葉、はじめて目にしました。

紛失や消滅は耳にしますが、滅失かぁ…。

原爆ドームはこんな状態ですもんね。大空襲後は、どこもこんな感じだったのでしょうか…。そりゃ滅失になるわなみたいな…。あっという間に、何もかも滅されたんでしょうね。切ない…。

戸籍を読んでみる

まず、戸籍を読みだして、曾祖父(ひいおじいちゃん)が婿養子に入り、今の510の苗字になったようです。びっくり。ちなみに、曾祖父の養母になった方は、万延元年生まれでした。ということは、162年前まで遡れたってことですね。おー…すごい。

そんなわけで、万延元年の出来事をぐぐってみる。

万延元年(1860年)の出来事

「桜田門外の変」が発生して、安政から万延に改元された年。

勝海舟が咸臨丸を指揮し、太平洋を横断してサンフランシスコに行った年でもある。

おおー!なんかスゴイ!!

戸籍は色々調べるきっかけになる

その後も、戸籍を読んでいくと、結婚後すぐに協議離婚をして戻っていたり、養子縁組が多かったり。

切なかったのは、子どもが生まれても1年たたずに亡くなっていたり…。これは、結構心にズシーンときました。昔は多産とはいえ、やっぱり子どもが亡くなるのは辛いハズで…。

*昔は、生後1年未満に4人に1人は亡くなっていたようです。ひえー。

離婚については、「子供ができなかったから?」とか最初は思っていました。しかし、調べていくうちに明治時代の離婚率が、現代よりも高いことを知りました。(現在の1.5倍位)追い出し離婚もあれば、逃げ出し離婚もあったそうな。

また、江戸時代の土佐藩では、「7回離婚することは許さない」という禁止令があった位だそうです。6回まではOKってすごい。

養子は長男がいないからとか、身分をあわせるためか?日野行政書士さん曰く、昔は結構多かったようです。

まぁ、結局は想像でしかないので、本当の理由はわかりません。ただ、戸籍を読んで思ったのは、直系しか遡れないのはわかる気がします。超個人情報ですもんね。

そういうことも考えると、家系図を作るのなら、基本的には子孫が戸籍を収集したり、作るべきだなと思いました。よっぽど戸籍が古くて、字が読めないから専門家に訳してもらい、さらに遡っていくとかは仕方ないかもしれませんが…。

それにしても、興味やきっかけがないと、なかなか昔のことを調べたりしないと思うんですよね。ご先祖さんの当時の状況は、今と全く考え方も環境も違うので、よいきっかけを頂いたなと思います。それに何より面白い。

そして、その後は実家へ行き、親に見せて、色々知らなかったエピソードを教えてもらうのでした。

つづく。

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